アナリティクス

2025年4月23日水曜日

「法に触れていないから大丈夫」は「赤点じゃないから大丈夫」と同じくらい危うい話

 


時折耳に入る、なんとも耳障りな言葉があります。

 

「これは法に触れていない。だから捕まらないので大丈夫。」

 

まるで免罪符のように、あるいは勲章のように、そう自慢げに語る人がいるのです。

 

しかし、この言葉を聞くたびに、私は強い違和感を覚えます。

 

なぜなら、それはまるで

 

「これは赤点じゃない。だから留年しないので大丈夫。」

 

↑これと同じですね。

 

ギリギリのラインを誇らしげに語る学生と何ら変わらないように聞こえるからです。

 

法に触れていない。

 

たしかにそれは、社会生活を送る上での最低限のラインです。

 

それを守ることは当然の義務であり、誇るべきことではありません。

 

赤点を取らないことが、学生の本分として最低限クリアすべきラインであるのと同じです。

 

しかし、本当にそれで「大丈夫」なのでしょうか?

 

赤点を取らなければ留年はしないかもしれません。

 

でも、それは本当に「大丈夫」な学生生活と言えるでしょうか?

 

単位取得だけが目標で、学びの喜びや探求心を置き去りにした、

 

墜ち際スレスレの、おバカさんと言わざるを得ません。

 

同様に、「法に触れていないから大丈夫」と、うそぶく人も、

 

社会の一員として、人として、

 

墜ち際スレスレの危うい状態にあると言わざるを得ません。

 

なぜなら、法は社会生活における最低限のルールであり、

 

道徳や倫理観は、そのさらに上に存在する、より高い次元の規範だからです。

 

法が定めるのは、あくまでも社会が秩序を維持する為に必要最低限のルールです。

 

それは、私たち一人ひとりが持つべき良心や、他者への配慮、共感といった、

 

より人間的な価値観を網羅しているわけではありません。

 

たとえば、法律で禁止されていなくても、

 

人を傷つけるような言葉を平気でSNSに書き込む行為はどうでしょうか。

 

直接的な暴力ではないかもしれませんが、

 

相手の心を深く傷つけ、社会全体の雰囲気を悪くする可能性を秘めています。

 

また、法の目をかいくぐるようなグレーゾーンの行為はどうでしょうか。

 

巧妙な手口で利益を得る人がいるかもしれません。

 

法的には問題がないかもしれませんが、それは本当に社会にとって、

 

そして私たち自身の心にとって「大丈夫」な行為と言えるのでしょうか?

 

法の次にあるのは、道徳という普遍的な価値観です。

 

善悪の判断、正義感、他人への思いやり。

 

これらは、法律で明文化されているわけではありませんが、

 

私たちがより良く生きるため、より良い社会を築くために不可欠なものです。

 

正邪を基準とすることこそが、人の道ではないでしょうか?

 

「法に触れていないから大丈夫」という言葉は、

 

あたかも「それ以外の規範はどうでもいい」と言っているように聞こえます。

 

それは、人間としての成長を放棄し、

 

社会の一員としての責任を軽んじていると言わざるを得ません。

 

私たちは、法律という最低限のラインを守るだけでなく、常に

 

「それは本当に正しいことなのか?」
 「誰かを傷つけることにならないか?」
 「社会にとって良い影響を与えるだろうか?」
 

そんな問いを持ち続けるべきです。

 

スレスレの合格ではなく、余裕を持って卒業できるような、

 

知性と良識を兼ね備えた人間を目指すべきではないでしょうか。

 

「法に触れていない」を免罪符にするのではなく、

 

より高い倫理観を持ち、社会にとって本当に「大丈夫」な行動を選択していく。

 

それこそが、成熟した社会を生きる私たちの責任であり、誇りであるはずです。


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