先日、街頭インタビューを視聴していた際、
興味深い光景を目にしました。
インタビューを受けていた高齢の男性が、
質問とは関係なく自身の年齢を語り始めたのです。
「今年で85歳です」
聞いてません。
その言葉には、どこか誇らしげな響きがありました。
もしかすると、それは自己紹介の一環であり、
あるいは、若々しく見られたいという願望の表れかもしれません。
「お若いですね」という言葉を期待していた。
そう推測するのは想像に難くありません。
しかし、現実は時に残酷です。
インタビューを行っていたのは、
冷徹な報道姿勢を貫くテレビクルー。
インタビュアーはプロフェッショナルであり、
その言葉に特別な反応を示すことなく、
事務的に次の質問へとスムーズに移行しました。
その瞬間、高齢の男性の表情には、
一瞬の戸惑いが浮かんだように見えました。
期待していたであろう言葉と、その反応の落差は、
大きなものだったでしょう。
それは、社会における自身の立ち位置や、
時の流れを改めて意識させられる・・・・・
ある種、現実との直面だったのかもしれません。
この一連のやり取りは、高齢者が持つ承認欲求と、
メディアが時に持ち合わせる無機質な視点との間に存在する、
微妙な温度差を象徴しているように感じられました。
高齢者の方々が、自身の存在や経験を肯定的に捉えてもらいたい。
そう願うのは、自然な心理でしょう。
しかし、効率と客観性を重視するメディアの姿勢は、
そうした個人的な感情に寄り添うことを必ずしも得意としません。
もちろん、報道番組にはその役割があり、
個人的な感情に配慮することは本質ではありません。
しかし、この一幕は、情報伝達という行為の裏側にある、
人間的な感情の機微を改めて考えさせられる出来事でした。
例えばお正月などのんびりした日々には、
多くのテレビ番組で一般参加のクイズ企画が放送されることでしょう。
そうした場に参加なさって、元気にお名前と年齢を発表し、
その経験や知識を披露し、周囲から賞賛されることでしょう。
街頭インタビューで少しばかり寂しい思いをしたかもしれないお爺さんも、
明るい光が降り注ぐことを願わずにはいられません。
私もすぐにそうなっているでしょうし。
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